ゆゆ式とキャラクター・ダイナミクス 〜Kashiko-men beyond the sea〜

この記事は「ゆゆ式 Advent Calendar 2015 - Adventar」13日目の記事です。
(出張途中に急ごしらえで作ったので、後に改稿・追記があるやもしれません)


初めに一つだけご注意を。当記事には私が英語の記事を和訳した部分が随所に含まれますが、この拙訳にはノリと勢いを重視した超訳が多分に含まれています。
決して丸呑みにせず、なるべく原典に当たることを推奨します。


さて突然ですが、皆さんは「キャラクター・ダイナミクス」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
恐らく多くの方には耳慣れない言葉かと思います。私もこの記事で初めて使います。
しかしこの言葉、多くの海外ゆゆ式レビューにおいて用いられており、Yuyushikiを評する上で無くてはならない言葉なのです。

この記事ではまず前菜として「キャラクター・ダイナミクス」で舌拵えをして頂き、
その後にシェフのおすすめ海外ゆゆ式レビューを存分に味わって頂きたいと思います。


さて、キャラクター・ダイナミクスとはどのようなものでしょう。

キャラクター・ダイナミクスとは、ひとことで言うと「キャラクターが持つ、物語を駆動させる力」です。但しこの力はキャラ単体では用を成さず、キャラ同士の関係の中で効果を発揮し、その力の大小や性質は組み合わせるキャラや環境によって目まぐるしく変わります。
どういうことなのか。レビューをひとつ取って説明しましょう。

海外アニメファンサイトの最大手MyAnimeList内のゆゆ式レビュー群
Yuyushiki - MyAnimeList.net
この中において最多のhelpful(参考になった)を獲得しているNotDolphyさんのレビュー。深い洞察と流麗な文章で、大変見事なレビューです。
この中で氏はこのように述べています。

(以下引用)
To start, good character dynamics are paramount in these plotless slice of life shows, and in that respect, Yuyushiki delivers in spades. Yuzuko is a somewhat typical, perpetually ebullient character, and is often the instigator of Yuyushiki's humorous situations, while Yukari is more of an airhead and quick to get caught up in Yuzuko's antics. Yui, the tsukkomi to Yuzuko and Yukari's boke, is the more serious of the three, and generally the one to keep the conversations somewhat grounded. Respectively, none of the girls really stand out from the ilk of their genre, but the sum of their personalities constitute a very natural and thoroughly entertaining rapport with one another.
(引用ここまで)
(以下拙訳)
まず始めに、こういった日常系作品においてはキャラクター・ダイナミクスが何よりも重要である。その点において、ゆゆ式は優れて効果的なつくりをしている。ゆずこは何と言うか、そこはかとなく迸るキャラクター性を持っている。そしてゆゆ式における多くのおもしろ展開は彼女が起点となっている。それに対し、縁は平素ぽやぽやしていながら、ここぞという場面でゆずこのお遊びに素早く食い付いてくる。そして唯はゆずこと縁のボケにツッコミを入れる。彼女は3人の中でいっとう真面目に振る舞い、3人の会話がそれなりにまとまった物になるよう誘導している。それぞれが引き受けた役目に従いて矩を踰えず、然してその個性の集合体はとてつもなく自然で、完全に調和の取れた愉快な関係を築き上げている。
(拙訳ここまで)

キャラクターには個性が必要不可欠です。しかし個性は適当に据えればよいものではありません。考え無しにバラバラな個性を誂えれば、物語は支離滅裂になってしまいます。筋の通った物語をつくるには、個性のバランスと調和が無くてはなりません。
氏はゆゆ式のキャラクター・ダイナミクスを「近来稀に見る」と高評価し、ゆゆ式が他の日常アニメ作品と一線を画す要素のひとつとしています。キャラクター・ダイナミクスとはつまり物語の基盤となるキャラの個性およびその組み合わせの力学(ダイナミクス)であり、ゆゆ式はその個性のバランスが非常に優れている、というわけです。

また氏のレビューではゆゆ式が優れいている点としてさらに二つの要素を挙げています。
まず一つは、大胆にゆるっとした雰囲気と、その中に織り込まれるシリアスなスパイスです。

(以下引用)
The bulk of Yuyushiki is dedicated to the frankly inane conversations among these three friends. The way their conversations veer wildly, often at the whims of Yuzuko, from one nonsensical topic to the next is always surprisingly natural. They change their cadence in an attempt to make one another laugh, pull innocuous little pranks on each other, and repeat meaningless phrases until they become funny[...]
Despite all the goofiness, Yuyushiki is perhaps at its best when the girls exhibit moments of genuine introspection. Lurches in the girls' conversation frequently lead to surprisingly serious topics, ranging from their plans for the future to their thoughts on death. These moments serve as subtle yet invaluable reminders that the girls are more than mere comedic devices, adding more depth to these small understated moments. Of course, it isn't long until the show shifts back to its pervasive silliness, but these fleeting moments are particularly memorable nonetheless. All of this conversational inanity and brief stints of sincerity culminate as an experience that is surprisingly realistic and easy to relate to. There's something particularly endearing about the way Yuyushiki effortlessly draws you into its lackadaisical atmosphere; it's simply a delight to spend time with these characters.
(引用ここまで)
(以下拙訳)
彼女たち3人の、言ってしまえば馬鹿らしい会話のためにゆゆ式の大半は捧げられている。3人の会話は当て所もなく明後日の方向へ彷徨する。多くの場合はゆずこの気まぐれによって、ナンセンスな話題の舟から舟へ、驚くほどの自然な発想飛びをして見せる。各人が相手を笑わせようと即興の妙技〈カデンツァ〉を駆使し合い、無垢つけき悪戯を仕掛け合い、意味朦朧なフレーズをゴリ押しして笑いの種に昇華してしまう。(中略)
そんな風にダラダラしてばかりのお話と思いきや、少女たちの会話の中に時としてマジな感じが垣間見える場面がある。その一瞬こそが、恐らくゆゆ式の最も由々しき瞬間である。彼女たちの会話は時として思わぬ方向に傾き、抜き差しならない話題に至ることもある。例えばそれは来るべき未来の話であったり、死を想うことであったりする。そんな場面の一つ一つが、彼女たちが単なるコメディの駒ではないという事を気付かせてくれる、密やかながら何物にも代え難い手掛かりなのである。その手掛かりが、普通なら瑣末に思えるようなあの場面この場面を味わい深くしてくれるのだ。もちろんそんな場面は長くは続かず、会話はすぐに取り留めない馬鹿話に戻っていく。しかし束の間のそんな場面こそが、忘れられない一瞬となる。こうした会話の端々に顔を覗かせるマジな感じや直球ストレートな思いが、息を飲むほどの現実感と親近感を禁じ得ない体験として結実するのだ。ゆゆ式という作品が、ゆるりご機嫌なひと時へ人々を誘い込む、その鮮やか過ぎる手管にはもはや愛おしさを感じるほどの何かがある。それは何を隠そう、そこに住まうキャラクターたちと過ごす心地良さが、そう感じさせているのである。
(拙訳ここまで)

もう一つは、優れたアニメーション技術です。

(以下引用)
Yuyushiki pulls through with formal excellence as well. Every little detail contributes to the joke. The colorful palette lends itself well to the genial atmosphere, and the animation, while unassuming, reveals marked craftsmanship upon close examination. Great care was taken into making small gestures and slight cues in body language as fluid and authentic as possible. Simple jokes are often elevated by a unique framing of the shot or a perfectly timed change in perspective. In many ways, Yuyushiki's production values are inextricably linked with the actual content of the show, but it does so in a very unobtrusive manner that can be easy to miss providing one isn't looking for it; ideal for this type of show, really.
(引用ここまで)
(以下拙訳)
ゆゆ式は技術的な面でも卓越した要素を持ち、他作品とは一線を画している。細部へのこだわり一つ一つがネタとして結実する。色鮮やかなパレットは明朗快活な空気を醸し出し、アニメーションは鋭い爪を隠しながらも、並々ならぬ職人技の痕跡を随所に刻んでいる。キャラの一挙手一投足に潜む機微の表現には、流れる様な自然さや迫真感といったものがこれでもかという程追究されている。ちょっとしたジョークでさえ、その独特な視点の置き方や絶妙な時間空間の切り取り方によって一つ上の表現となっているのだ。あちこちに散りばめられた技術の粋が、どれもこれもゆゆ式という大河の一滴となっている。然してその技術は明示されず、敢えて探そうとしなければ見落としてしまうような慎ましい方法で駆使されているのだ。そしてこういったやり方こそが、ゆゆ式のような作品にとっては最も理想的な作劇なのである。
(拙訳ここまで)

ゆゆ式の優れたアニメーション技術については、このレビューでは概説に留まっていますが、また別の方が詳らかにしていますので、今度はそちらを紹介したいと思います。

Atelier Emilyさんのゆゆ式記事のひとつ、アニメ9話におけるキャラクターの足の動きに着目した記事

Yuyushiki is still sitting pretty. | atelier emily

この方はゆゆ式について鋭い考察に富んだ記事をいくつも書いているのですが、この記事はその中でも特に秀逸な一筆です。
氏はまず岡野圭の足の動きに着目し、こう分析しています。

(以下引用)
We unknowingly inform others daily of our comfort levels, mood, and emotions through small physical indicators. [...]
Kei Okano provides the easiest example of this. We are reminded of her oft-socially inept nature constantly, not only in her stunted speech or inability to address her own emotions, but visually in the way she moves and is presented to us. Kei appears on a line that is perpendicular [...]to the character she is speaking with if she is ill-at-ease. Episode nine reinforces this beautifully through the manner in which Kei awkwardly approaches Fumi (who is seated at a desk) to talk about Yukari. Kei walks directly to Fumi’s desk in a straight line and does a near-perfect military turn to face her friend while the parquet flooring reiterates the perpendicular lines.
(引用ここまで)
(以下拙訳)
私たちは日々知らず知らずのうちに気分や感情を人に伝えている。それを伝えているのが、小さな体の動きだ。(中略)
いっとう分かりやすい例として、岡野圭の所作を挙げよう。彼女のちょっと世慣れない擦れた感じの気質が、ちぶっきらぼうな言葉遣いだけでなく、体の動きや姿勢などからも見て取ることが出来る。彼女は何かしら落ち着かない時、話している相手に対して直角な向きになる(中略)。これが見事に表されているのが9話、圭が縁について話そうとふみ(椅子に座っている)の下へぎくしゃくと歩み寄る場面である。圭はふみの席に向かって真っ直ぐに歩み寄り、軍隊の回れ右のようにカクッと向きを変える。この時床板に目を向けると、これまた直角な模様が何度も何度も繰り返されている。
(拙訳ここまで)

原作にはない圭の足元の描写。その常ならぬ様子。そこから緊張した様子を読み取る所も鋭い洞察です。さらにそれだけでなく、アップで映された床の直角模様がカクカクする圭の足の動きと相まって、その穏やかならぬ心中を描き出している、と読み説く所も白眉であります。
さらに氏の追究は続きます。今度は情報処理部のシーンにおける足の動きに焦点を当て、次のように分析しています。


(以下引用)
Yuyushiki shines the most when it manages to bring both results – additional character trait and emotional information – together into the same scene. In the picture above, Yui is on the left and Yukari is on the right. Their respective legs appear to be both comfortable yet properly seated. As the scene pans left, we see Yukari shift into a slightly less-proper position when she turns to Yuzuko, whose legs are slightly more spread apart and swinging back and forth, denoting her lack of propriety and capricious nature.

Yukari’s purposeful shift in positioning reiterates what we know about her relationships with both Yui and Yuzuko respectively. While pictured next to Yui, her childhood friend, she’s a bit more proper, which also reflects her wealthy upbringing, and the two are very much in sync with each other (her legs nearly mirror Yui’s). As the focus shifts right, Yukari loosens up and leans towards Yuzuko. Yuzuko as the naturally whimsical trickster, swings her legs back and forth while she chats with her friends. Meanwhile, although not pictured in the images above, in the absence of Yukari, Yui begins to kick her legs a bit.
(引用ここまで)
(以下拙訳)
ゆゆ式は二つの効果(キャラクターの特徴付けと感情の描写)を一つのシーンで同時に表現する場面において、技術を最大限にを発輝している。上の場面において、唯は左に、縁は右に着いている。各々の足はくつろぎながらも礼儀正しく揃えられている。ここでカメラが左にパンすると、縁は少しだけしどけない足つきになり、ゆずこの側へ向く。ゆずこは僅かに脚間を緩ませながら前へ後ろへぶらぶらさせ、ちょっとお行儀悪く気まぐれな気質を覗かせる。
縁の意識的な体勢移動は、返す返す唯とゆずこそれぞれと縁の関係性を詳らかにする。幼馴染である唯と並んだショットになる時、縁は少しシャキンとし、育ちの良さを醸し出す。それと共に、二人の動きは見事にシンクロする(縁の足さばきは唯の鏡映しのようである)。翻って(上の図では明示されていないが)縁がゆずこの方を向くと、唯は(落ち着かないように)足を突き合わせ始める。
(拙訳ここまで)

些細な描写からキャラクター・ダイナミクスをつぶさに読み取る考察。正しく目から鱗の記事です。三人が部室で話すとき、唯とゆずこの性格の違いが座った時の足遣いにも如実に表れます。縁は話す側に合わせ、足遣いを変えます。そして縁がゆずこの側を向くと、唯は落ち着かない様子になります。あの短い脚だけの場面にこれ程の重要な情報を組み込み、それでいて何でもないような場面に仕上げる。爪を隠す鷹のような、見事なワザマエ。キネマシトラスの技術の粋が垣間見える一場面です。
Atelier Emilyさんは他にも秀逸なゆゆ式エントリーを幾つも挙げているので、是非読んでみてください。


(To be continued...?)