「マイマイ新子」に金子みすヾの詩の世界を見た。

今年の漢字が「新」だという情報を耳にして、
今更だが、見てきた。一部で話題の映画、

マイマイ新子と千年の魔法

略して

「すとれぷとマイ新」

……明らかな誤略である。
それは、さておき。
さっそく感想に入りたい所だが、その前にとりあえずこの写真を見てくれ。
映画の中のワンシーンなんだが

「こいつをどう思う?」
「すごく……大き(ry」

いや、私がやりたいのはそんなネタじゃない。
ふたりが食べてる、この草。

こいつは何だ?

気になった人も多いのではないかと思う。
私も気になったので調べた。
見つけた。
その草の名は、


「すかんぽ(=イタドリ)」という。


すかんぽ…………!

私の頭の中で、ソケットが填った。



「金子みすヾ」だ!



「すかんぽ、すかんぽ
みいつけた。
豆の畑の畦道(アゼミチ)に。
 
遠いお里よ、あのころよ、
とうに忘れた、その味よ。」
(金子みすヾ「すかんぽ」より抜粋)


金子みすヾといえば、大正デモクラシーが生んだ、女流詩人の巨星。
奇しくも「マイマイ新子」の舞台と同じ、山口出身である。
そして彼女が描く詩の世界
これがまた、「マイ新」の世界にソコハカと無くマッチするのだ。

子どものような瑞々しい目線で、人と自然を見つめ
温かく、優しく、そして時に少し寂しい世界を描く。
それが金子みすヾの詩作だ。

「白い花びら
刺のなか、
『おうお、痛かろ。』
そよ風が、
駈けてたすけに
行つたらば、
ほろり、ほろりと
散りました。 」
(金子みすヾ「野茨の花」より抜粋)

劇中の白い花は野茨ではないが
「いのち」に対する真摯で優しいまなざしが、似ていると思った。
自由で大胆な発想をする所も。
(原作で重要そうな部分を大幅にカットしたり、逆に軽く済ませている部分をめいっぱい膨らませたり
元の流れにとらわれず、大胆なアレンジを加えている所。
百合百合しい雰囲気をおもっきし押し出している所とか。
※金子みすヾが百合百合しいわけではない)

そういえば、境遇も少し似ている気がする。
生前、金子みすヾの作品は知る人ぞ知る傑作であった。
彼女がその命と共に筆を折って後、その作品たちは長く埋もれていた。
再び注目されたのは、没後50年以上経ってからのことである。

マイマイ新子」も、そうなりかけている気がする。
50年、100年後の人にも見てもらえるのは、大いに結構。
むしろ、頼まなくてもそうなるだろう。
ただ、今の人たちにあまり知られていないのは、実に残念。
是非とも埋もれた名作で終わって欲しくない。


……むう。
どうも「マイマイ新子」の宣伝ではなく、
「金子みすヾ」の宣伝になってしまったきらいがある。


ともかく自分の頭の仲では、
マイ新の世界と金子みすヾの詩の世界が
驚くほどカチッと填ったのだ。
だから私の感想を一言で述べると

マイマイ新子」は金子みすヾの詩の世界だ

である。

正直、全くの直感で、思いつきな意見であるが
マイマイ新子を見て思うところがあった方は、ぜひ金子みすヾの作品に触れてほしい。
何かしら通じるところを感じてもらえる……はず。